工事統括部長付取締役役員
栢本 俊司

1983年(昭和58年)入社 
東住吉工業高校(現 東住吉総合高校)卒

経歴や現在のお仕事についてお願いします。

(栢本)はい、今から35年ちょっと前ですかね? 東住吉工業、今の東住吉総合を卒業しこの会社に入社しました。暫くは先輩らについて現場を回る感じで、電気工事の基礎から応用までしっかり鍛えられました。その後本社の方に異動になり今度は現場管理を教えられました。そして現在は工事統括部長の役職をいただき、当社行う工事全ての管理責任者という立場に居ます。また取締役役員という事で社員と言う立場ではありますが、経営会議など会社全体を決める重要会議にも出席し会社運営の一翼を担っております。

入社当時を思い出してどうですか?

(栢本)「今とは時代が違う」という事を前置きした上で話しますと、高校時代、結構ヤンチャしてましてね。思い返せば東住吉の先生方には相当迷惑かけてたと思いますわ(笑) そんな状態で入社しましたので、今で言うところの半グレ新入社員でした。 ところが入社してみると上司や先輩はもっと凄かった(笑) 当時の建設業界ってのは気の短い人が多くって口より先に拳が出るって感じで、高校卒業したばかりのヤンチャ社員なんて歯向かったところで簡単にやられてしまうんです。ですから上司先輩に素直について仕事するしかない。
でもそんな上司先輩も仕事になると本当に凄かった。  人が変わったようにキッチリと正確に仕事を仕上げていくんです。 
そんな状態ですからいつしか上司や先輩に対する思いが「反発」から「尊敬」に変わってましたね。 まぁ怖かったってのは変わりませんでしたが(笑)

今までで一番「キツかった」事は何ですか?

(栢本)あの時が一番辛かったと言うのは無いですね。そりゃ仕事の失敗が続いた時、上司やお客様に叱られた時、仕事が忙しくプライベートの時間が取りにくくなった時、何度も「もう無理。辞めさせて貰おう」と思ったことはありますよ。でも自然と助けの手が入るんですよね。上司だったり先輩だったり同期や年の近い先輩だったり。今考えれば「辛い・辞めたい」は私の「壁」だったのでしょうね。それを何度も周囲の手を借りてですが乗り越え今に至ってる訳ですから良い勉強にはなったと思っています。

こんな人材が欲しいとかってありますか?

(栢本)先程の話じゃ無いですが「一度や二度の失敗で諦めない人」・・・・かな?
そう言う意味ではコミュニケーション能力が高いほうがいいかな。仕事に限りませんが自分ひとりが失敗する時は大抵「手抜きした結果」であるように仕事上で他人に迷惑かける失敗ってのはほぼ確実に「コミュニケーション不足」なんですよ。「担当者と打ち合わせをしておけばよかった」とか「上司や先輩に相談しておけばここまでにはならなかった」とかね。仕事(現場)は一人でするわけでは無いのでいくら能力高くても話さない人は困ります。あと地方人材も来て欲しいですね。 今、当社では九州の高校やいろんな地方の大学にも求人出していますが、会社としての願いは生まれたところを離れて大阪で人生終わらせてくれ・・・ではなく当社で勉強して何れは地元に帰って「電気工事会社」の社長にでもなって欲しい。
そして当社がその地方で現場が出た時、快く仕事を受けてほしいと思うわけです。
現に何人か故郷に帰って電気工事会社をやっており、その地域で仕事があるときはそこにお願いしています。 

資格などはとっておいたほうがいいですか?

(栢本)先ず電気工事士、工業学校出ていればまず何らかを持っていると思いますが、これを持っていないと現場で作業出来ませんから絶対です。あと施工管理と消防も行く行くは必要になりますから取るべきでしょう。ただこれら資格は受験資格に経験が必要な場合がありますから社会に入ってからできるだけ早くと言った感じでしょうね。当社の場合、社内講習会というのをやっていますからそこで知識を得たり、試験対策を先輩などに聞けるようにしています。

これからの後輩たちへ一言

(栢本)社会に入る事に不安を感じているかもしれませんが、先輩たちがリードしてくれるのでそこは安心してください。
しかしずっと優しいかと言うとそうではありません。緊張感無く仕事に取り組めば、特に現場では自分や他の作業者を怪我させたり最悪死なせてしまう事だってあるのです。
また仕事と言うのはお互いの信頼が基本です。「約束事は必ず守る」一番重要な事だと思っておいてください。

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